フランク・ゴッチに挑んだ謎の日本人キング・ローの正体

1911年、キューバにいた前田光世(コンデ・コマ)はフランク・ゴッチなる猛者が首都ハバナのホテルに滞在中であるとの噂を耳にする。

なんでもゴッチはレスリング世界チャンピオンであり、何年か前には講道館の柔道家三名を立て続けに連破したという。

「青柳初段がシアトルで挑戦したが体落としに入るところを後ろ投げに返されて失神。ニューヨークでは東二段が手もなくひねられた。続いて鈴木四段がニューオリンズの万博会場で挑戦するも敵わなかった。」といった内容。

講道館三羽烏と称された事もある前田は勇んで挑戦を試みるも「妻とのハネムーン中であり、また、柔道家の相手はウンザリ」という理由で拒否され、結局、前田とゴッチの対決が実現する事はなかった。


ところで、前田が伝え聞いた「ゴッチの講道館柔道家三連破噺」には事実誤認がある。


NWA世界ヘビー級初代王者として有名なフランク・ゴッチが、柔道家か柔術家と対戦対峙した記録は以下の三つ。

  1. 1904年09月 柔術家の K・青柳 とシアトルで対戦し計36秒で三本勝ち。
  2. 1905年01月 柔術の達人 マナベ をスパーリングであしらう。
  3. 1907年03月 ワスキカ(若杉?脇坂?)を4分で片付ける。


唯一、青柳初段戦と思われる試合は確認できるが、東二段、鈴木四段に関してはフランク・ゴッチにそれらしき対戦記録はなく、下記が該当する試合であろうと推測できる。

  • 1905年04月 東勝熊 がニューヨークで G・ボスナー に三本を連取される。
  • 1905年03月 柔術家の 鈴木アラタ が G・バティスト に計五分内に二本負け。


実際にフランク・ゴッチは柔術家を三度退けた(あしらった)ようであり、米国人レスラーが青柳、東、鈴木なる日本人柔術家を倒した記録もある。その上で、噂が広まるうちに混同されたり、ゴッチの強さを語る上で流用されたり、柔術家が講道館柔道家にほんのり誇張されたり、対戦相手の段位が上がっていく展開にして面白さを盛られたりした事は想像に難くない。


そしてここで本題。フランク・ゴッチに挑んだ日本人で最も有名であろう「謎の日本人 キング・ロー(King Lo (Jap))」は、対戦時期から「K・青柳」だと考えられており、「きんごろう」という名前から転じて「キング・ロー」と表記されたのであろうという説が秀逸。


※関連外部リンク > 1, 2, 3


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