熾烈で過酷な米国プロレス団体興亡録
ワールドワイドなプロレスの頂きとは、最大の興行規模を誇る米マット界において時の最高権威勢力が認定する王座である。ここでは米プロレス史を垣間見つつ世界最高位の変遷を辿る。
(1) NWAの勃興と世界最高位の確立
1948年、第二次世界大戦後のプロレス再興を目的にNWAが結成される。
1949年、NWAは、初代フランク・ゴッチ、当代(第38代)ルー・テーズという設定で「NWA世界ヘビー級王座」を認定。この時点では、初代と当代の間は歴史のつぎはぎで取り繕うなど、まだ安直な代物。
1960年代から1970年代にかけてNWAが黄金期を形成。巨大権威化した事で認定タイトルに実態が伴って世界最高位に。後に台頭するWWEやWCWはこの頃、NWAの一構成要素に過ぎない。
(2) WWEによる米プロレス界革新
1983年よりWWEがプロレス界統一に着手。NWAを脱会、ハルク・ホーガンを筆頭に各地のスター選手を次々と引き抜き、放送権を買い取り、乗り込み興行を敢行。業界大侵略は「1984」と畏怖された。
1985年には初のレッスルマニアで巨額の興行収入。全米がホーガンを中心としたプロレスブームに沸き、この現象は「レスリング・ルネッサンス」と讃えられた。
WWEがNWAを出て外から攻勢を仕掛けたのに対し、WCWは弱ったNWAを内から喰らって強大化。やがて漲る両勢力は決戦の「マンデー・ナイト・ウォーズ」へ。
(3) WCW、下剋上から絶頂期へ
1980年代後半、WWEとの興行戦争に敗れたNWAは衰退。WCWはタイトルや主力選手、関連最大興行スターケードなどNWAの価値ある全てを吸収していき、1993年、抜け殻となったNWAから脱退(NWAはマイナー団体の1つに成り下がる)。
1994年にはWWEに戦線布告、ホーガンなどの大物を破格の条件で続々引き抜き開始。
1995年から視聴率合戦「マンデー・ナイト・ウォーズ」を仕掛ける。1996年6月から1998年4月まで83週間連続で視聴率が上回る大勝、更にPPV市場でも大差、絶頂のWCWはWWEを廃業寸前まで追い込む。
(4) WWEの逆襲、そして祭の後
1996年頃からは破竹の勢いのWCWに押され低迷していたWWEであったが、1998年あたりから反撃開始、1999年には形勢逆転。WCWは混迷を極めて自滅的転落、僅か2年後にはWWEに買収されて消滅する顛末。
1990年代後半、最後の大ブームと言えるほどプロレス人気は大いに過熱。皮肉にも、大ブームの反動と競争相手不在によりWWEのビジネスは確実に衰退していく。
(5) UFCというプロレスの向こう側
現時点でもプロレス界のトップはWWEで変わらないものの、そこは「プロレスに取って代わるモノ」として急成長した格闘技最高峰のUFCから見下ろされる位置にある。
1993年11月に初開催のUFC、当初はプロレス界よりもボクシング界の方が競合を懸念。展開されたバッシングキャンペーンで1997年頃は低迷。2001年1月、ズッファが買収するも投資が膨らみ運営危機に直面。が、2005年1月からの社運をかけたジ・アルティメット・ファイターが大成功し急躍進、翌2006年にはボクシングもろともWWE超えを果たす。(日本のPRIDEを買収し格闘技界で頭抜けた存在になるのは2007年)
<最高位の変遷>
(1) 1960年頃-1984年 / NWA世界ヘビー級王座
(2) 1984年-1996年 / WWE世界ヘビー級王座*
(3) 1996年-1998年 / WCW世界ヘビー級王座
(4) 1999年-2005年 / WWE世界王座*
(5) 2006年-現在 / UFC世界ヘビー級王者
※「WWE世界ヘビー級王座*」が「WWE世界王座*」に名称変更。
WWEのタイトルはコロコロと名称変更を繰り返す。あまり王座自体を重視しておらず、マッチメイクは「カード」よりも「興行」に価値が置かれ、最高峰としてレッスルマニアが位置付けられている。王座戦が何度も行われるので王座の価値は防衛回数ではなく、防衛期間と戴冠回数に価値を置かれている。
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